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ヒロシマの原爆献水のあるべき姿
〜原爆献水は名水を供えましょう〜
広島市平和公園の慰霊碑に献水台設置を提案します。 主旨 原爆献水は、きれいで、美味しい水、すなわち、名水で供えることが大切だと思います。 水場は人が守ってやらないと維持できませんので、水場を守る心ある人々がたくさんいれば、水場環境が守られ、名水を供え続けることができます。 世界中の人に「名水をもってきてください」と呼び掛け、その呼び掛けに応えた世界中の人が、名水を持ってきても、ヒロシマには、その水を注ぐ献水台がありません。「水、水、水、、、」と、声にならない声で、水を求めて亡くなられた人々に、水を捧げようと思っても献水台がありません。献花台や、折り鶴を供えるところはあっても、献水台はありません。 これまでの広島市主催の原爆献水の儀式においては、一旦桶で供えた後、式典終了後、平和公園の慰霊碑(中央)の池に直接注いでいます。 そこで、平和公園の慰霊碑(中央)や、市内の慰霊碑に、献水する専用台をデザインして据えることを提案したいと思います。日本庭園技術の最高傑作ある水琴窟の音色は、これまで癒しの音色ととらえられてきましたけれども、この音色を、ヒロシマの犠牲者への鎮魂の音色ととらえ、平和公園原爆慰霊碑と市内各所にある慰霊碑に水琴窟を設計施工することを提案します。 平和公園の慰霊碑の場合、注がれた水が、そのまま池に流れ込むようにし、取り外し洗うことのできるよう、メンテナンスが容易であるよう設計されものを公募し検討してみてはどうかと思っています。 今回の原爆献水写真展では、市民の賛同がいただけるように、アピールしてみたいと思っています。 水はすべての命を育んでいます。平和を守る事と、自然環境を守ることは同じ次元で達成されていくべきだと思います。ご意見、御感想、ご支援をお願いいたします。 広島の水場を守る会 錦川 鯉 2005.7.11、2006.7.19、2008.7.5、計3回 |
平和供養塔への原爆献水
私達が供えた原爆献水以外にも、ペットボトルでお水が供えられていた。大半はキャップをはずしてその場に置いてあった。どの慰霊碑においてもいくつかの水が供えられている。 この時、私達は献水台が必要だと気付いた。 この水がどうなるのか、あとを確かめた。日が暮れると清掃員の方がこられ、その日のうちにペットボトルを片付けることもわかった。 献水台が置かれそこに水を注ぐ、すると水は流れて池に流れこむか、地下に吸込まれていくようにならないものか? そして空ペットボトルは各自持ち帰るようにすれば、清掃員に迷惑をかけないで済むし、空ペットボトルもゴミにならない。 献水台があれば、世界中の人が平和供養の水を持参しやすくなるのではなかろうか? (C)2005.8.6錦川鯉撮影 |
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水琴窟とは
日本の庭園には、自然美が凝縮されています。その庭づくりに 「水」 の果たす役割は大きい。茶室入口の蹲踞(つくばい)や、書院縁先手水鉢の鉢前水門に造られた水琴窟は、日本独自の庭園技法の一つです。 先に、江戸初期頃、三大茶人・小堀遠州が蹲踞を創案しました。江戸中期に庭師が、それまで蹲踞の余水の配水装置として地中に作っていた 「洞水門」に、瓶などを埋めて音色にまで工夫を凝らし水琴窟がうまれたといいます。 写真の水琴窟は、原爆献水写真展で展示しているもので、地上にセッティングでき、持ち運び可能な形体のものです。従来のものより少し工夫が凝らされています。 地下に埋めてもいいですし、埋めなくても音が出るものです。広島の水場を守る会の会員の方で、ガーデニングプランがたてられます。 水琴窟の構造(水琴窟断面図参照) 鉢前水門の下に底に小さな穴の開いた瓶を逆さにして埋め込みます。逆さにした瓶の中は空洞で、下の方に適度の水がたまっています。手洗い水が、水滴となって瓶の中へ落ちると瓶に反響し澄んだ音色を響かせます。反響する音色が琴に似ていることから、江戸時代の粋人達や庭師から「水琴窟」と呼称されたようです。水琴窟は、日本の音文化の結晶であり、幾筋かの雫の音が、侘び寂を感じさせてくれます。 |
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水琴窟断面図
(C)2006.錦川鯉 |
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2008.7.5、申し入れに対する広島市からの回答
平成20年(2008年)7月14日 錦川 鯉 様
拝啓 このたびは、市長宛に電子メールをいただきましてありがとうございます。 63年前、人類史上最初の原爆の惨禍を経験したヒロシマは、その悲劇を二度と繰り返さないために、被爆の実相を世界に伝え、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を目指して様々な取組を行っています。 もちろんこれは、本市だけで成し得ることではなく、世界中の市民の皆様の賛同と協力を必要としており、錦川様のご活動とお気持ちに深く敬意を表します。 ご提案の趣旨である恒久平和の実現と自然環境の保護は、いずれも重要な課題と認識しており、広島市においてもそれぞれの分野において施策の推進に懸命に取り組んでおります。 現在、平和記念公園内には、「平和の池」に代表されるように「祈りの泉」「平和の泉」「平和の鐘周囲の池」などのたくさんの水に関する慰霊碑等があります。これらは、水を求めながら亡くなった人たちへの鎮魂の意味が込められています。また、市民の方が慰霊碑に献水をされる場合には、容器に入れて慰霊碑前に捧げられたり、また、直接平和の池に注がれる場合もあるようです。慰霊碑前に献水台を設置してはとのご提案につきましては、スペースの問題から困難と思われますが、慰霊碑との調和や市民の方からの献水の頻度などを勘案しながら今後も引き続き検討したいと考えております。なお、水琴窟の設置につきましては、今後の施策を進める上でのアイデアの一つとして参考とさせていただきたいと思います。 また、平和記念式典における献水の候補として、「運場の滝の水」をご推薦いただきありがとうございます。 広島市では各地域の名水や由来のある水などを、地域から推薦していただき、現在市内16か所から集めた清水を献水としています。したがって地域になじみが有り、由来があるなど献水にふさわしい採水地の推薦が地元から有れば、候補となるものと考えております。 この度、ご推薦を頂いた南区似島町の「運場の滝の水」については、こうした点を踏まえて今後の採水地候補の参考にさせていただきたいと思います。 最後になりましたが、錦川様の今後ますますのご健勝とご活躍をお祈りしますとともに、今後とも本市とともに核兵器のない平和な世界を創り出す力になっていただければ幸いです。 敬具 広島市市民局 市民活動推進課長 児玉 尚志 広島市市民局国際平和推進部 平和推進課長 手島 信行 |
2008.7.5、広島の水場を守る会錦川鯉より広島市への提言。
広島市市長 秋葉忠利様 2008.7.5
〜原爆献水は名水をそなえましょう〜 平和公園の慰霊碑に献水台設置を提案します。 キャンペーン主旨 原爆献水は、きれいで、美味しい水、すなわち、名水で供えることが大切だと思います。 水場は人が守ってやらないと維持できませんので、水場を守る心ある人々がたくさんいれば、水場環境が守られ、名水を供え続けることができます。 世界中の人に「名水をもってきてください」と呼び掛け、その呼び掛けに応えた世界中の人が、名水を持ってきても、ヒロシマには、その水を注ぐ献水台がありません。「水、水、水、、、」と、声にならない声で、水を求めて亡くなられた人々に、水を捧げようと思っても献水台がありません。献花台や、折り鶴を供えるところはあっても、献水台はありません。 これまでの広島市主催の「献水」の儀式においては、一旦桶で供えた後、式典終了後、平和公園の慰霊碑(中央)の池に直接注いでいます。 そこで、平和公園の慰霊碑(中央)や、市内の慰霊碑に、献水する専用台をデザインして据えることを提案したいと思います。日本庭園技術の最高傑作ある水琴窟の音色は、これまで癒しの音色ととらえられてきましたけれども、この音色を、ヒロシマの犠牲者への鎮魂の音色ととらえ、平和公園原爆慰霊碑と市内各所にある慰霊碑に水琴窟を設計施工することを提案します。 平和公園の慰霊碑の場合、注がれた水が、そのまま池に流れ込むようにし、取り外し洗うことのできるよう、メンテナンスが容易であるよう設計されものを公募し検討していただきたいと思っています。 今年も原爆献水写真展では、上記の主旨について市民の賛同がいただけるようアピールしてみたいと思っています。 水はすべての命を育んでいます。平和を守る事と、自然環境を守ることは同じ次元で達成されていくべきだと思います。ご意見、ご感想、ご支援をお願いいたします。 広島市主催「原爆死没者に捧げる清水」16ヶ所について、平成の名水百選には落選しましたが、これまで以上に行政と住民参加での保全活動をお願いします。 南区を代表するの「献水」がないので、「運場の滝の水」(似島学園の裏山)を推薦します。 似島は検疫所があったため、原爆投下後、市内には病院も医師も看護婦も全滅でしたので、軍医のいる似島へ舟で被爆者を運び治療をしました。その救護活動には軍用水道の水が使われました。 そのお陰で、命拾いした方もいれば、亡くなられた方もおられます。軍用水道の跡は似島学園の裏山に今もひっそりと残り、運場の滝の水は、昔のままきれいに流れ続けています。 広島の水場を守る会 錦川 鯉 似島が検疫所候補地にあげられた理由 当時、東洋一を誇る大検疫所だといわれたのが、似島検疫所です。陸軍が500人を収容しうる検疫所(病舎)を設営するか検討した際の条件は、「平野が広く、水利があり、隔離できる島」でした。ところが、どの島を捜しても、平野がある所は、水利が乏しく、水利充分な所は、山が迫り険しく不向きでした。 そんな中、似島の東海岸は、満潮の際、多少潮水が浸水することもあるが、2000余坪の平野がありました。次に、自然の渓谷と滝があり、流れる水は、いかなる干ばつにも涸れることがありませんでした。 似島の地質は、花崗岩系のまさ土で、浄化された極めて良質な水が湧出します。山はさほど高くありませんが、小松が鬱蒼と茂り、水源が涸れることなく、何千人の消毒作用に足りるものであり、また、桟橋を架設すれば、大きな船舶の碇泊が可能であると判断されました。(芸備日々新聞(明治28年5月13日発行、第2802号2面)呉市史編纂室所蔵・提供(澤原梧郎氏寄託)より著者要約編集) 現在、検疫所跡地は、平和施設に転用され、似島学園、広島平和養老園、似島臨海少年自然の家となっています。大陸から帰還した人馬は、すべて似島で検疫を義務付けられました。 第一検疫所 今の似島学園のあたりにありました。昔は、山際に畑があったが、人は住んでいなかったので、軍は強制的合意により土地を取得し、弾薬庫と検疫所にしました。(一部埋め立て地と思われる) 軍用水道跡(写真) 南区似島町、似島学園敷地内山手 日清戦争時の軍用水道跡です。消毒用水として貯水層が設けられました。(100トン×3個=300トン)第一検疫所の生活用水は、この水でまかなわれました。 この渓谷と滝は、運場の滝水(うんばのたきみず)と呼ばれ、この島で一番水の豊富な場所です。いかなる干ばつにも涸れることがないといわれていましたが、万一の為、更に34の横井戸を設けていました。 現在は、森と水に恵まれた自然環境をそのまま利用し、似島学園の椎茸栽培場になっています。(似島学園内は、許可なく立ち入り禁止) 日照りでも 枯れぬ運場の 滝の御心 (錦川 鯉)
参考文献:「似島の口伝と史実」(1)島の成り立ちと歩み 似島郷土史編纂委員会 1998年 宮崎多助、宮崎佳都夫 「似島陸軍検疫所広島宇品名所記念写真帳」 -陸軍運郵部検閲済- 復刻版 石踊一則、あき書房 「錦川鯉の名水賛歌VOL.4」 |
2006.7.19、申し入れに対する広島市からの回答
このたびは、「原爆献水写真展」のご案内並びにご提案をいただきましてありがとうございます。
ご承知のとおり、61年前、人類史上最初の原爆の惨禍を経験したヒロシマは、その悲劇を二度と繰返さないように、被爆の実相を世界に伝え、核兵器の廃絶を目指して、様々な平和の取り組みを行っています。もちろん、これは本市だけで成し得ることではなく、世界中の市民の賛同と協力を必要としており、中村様のご活動とお気持ちに深く敬意を表します。 ご提案の趣旨である恒久平和の実現と自然環境の保護は、いずれも重要な課題と認識しており、広島市においてもそれぞれの分野において施策の推進に懸命に取り組んでおります。 現在、市民の方が慰霊碑に献水をされる場合には、容器に入れて慰霊碑に捧げられたり、また、直接平和の池に注がれる場合もあるようです。慰霊碑前に献水台を設置してはとのご提案につきましては、献水台と慰霊碑との調和や市民の方からの献水の頻度などを勘案しながら検討したいと考えております。なお、水琴窟の設置につきましては、今後の施策を進める上でのアイデアの一つとして参考とさせていただきたいと思います。 最後になりましたが、中村様の今後ますますのご健勝とご活躍をお祈りしますとともに、今後とも本市とともに核兵器のない平和な世界を創り出す力になっていただければ幸いです。 敬具 広島市企画総務局国際平和推進部 平和推進担当課長 手島 信行 原爆と平和(平和宣言など) http://www.city.hiroshima.jp/→原爆と平和 環境 http://www.city.hiroshima.jp/→ごみ・環境 |
2005.7.11申し入れに対する広島市からの回答。
慰霊碑への献水台の設置について 2005.10.21
拝啓 このたびは、市長宛に電子メールをいただきましてありがとうございます。 60年前、人類史上最初の原爆の惨禍を経験したヒロシマは、その悲劇を二度と繰返さないように、被爆の実相を世界に伝え、核兵器の廃絶を目指して、様々な平和の取り組みを行っています。もちろん、これは本市だけで成し得ることではなく、世界中の市民の賛同と協力を必要としており、錦川様のご活動とお気持ちに深く敬意を表します。 ご提案の趣旨である恒久平和の実現と自然環境の保護は、いずれも重要な課題と認識しており、広島市においてもそれぞれの分野において施策の推進に懸命に取り組んでおります。 現在、市民の方が慰霊碑に献水をされる場合には、容器に入れて慰霊碑前に捧げられたり、また、直接平和の池に注がれる場合もあるようです。ご提案いただいた慰霊碑前に献水台を設置してはとのご提案につきましては、献水台の慰霊碑との調和や市民の方からの献水の頻度などを勘案しながら検討したいと考えております。なお、と水琴窟の設置につきましては、それぞれ今後の施策を進める上でのアイデアの一つとして参考とさせていただきたいと思います。 最後になりましたが、錦川様の今後ますますのご健勝とご活躍をお祈りしますとともに、今後とも本市とともに核兵器のない平和な世界を創り出す力になっていただければ幸いです。 敬具 広島市市民局国際平和推進部 平和推進担当課長 手島 信行 |
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