(広島県版)  


能地の共同井戸


能地の共同井戸

三原には井戸を中心として発達した集落が多いようです。水の出るところに人が住み、井戸の名前や地名にその土地をひらいた人の姓や氏名を付けたものが多く残っています。(時貞、広友、広兼、水兼、岩田などの地名が残っています。例えば、時貞地区は竹之内時貞という人が開いたところで、そこには「竹之内井戸」という井戸があります。)

三原の海岸沿い(能地、町場、須波浜)にも古い共同井戸や個人の井戸が多数残っています。井戸を中心に井戸組ができお金を集め、井戸替えやポンプの修理やお祀りをしました。能地(のうじ)には下記の「カワ」のほかに、酒造用の井戸もありました。「カワ」というのは、「川」ではなく、「井戸」のことです。これらの共同井戸はどれも1891年(明治24年)の埋め立て以前の土地にあり、旧本通りの北側にあります。

◇井戸替えとお祀り

1967年(昭和42年)頃に市の水道が引かれるまではどの井戸も飲用していたので、毎年旧7月7日に井戸替えをしていました。岩の間から湧いている浅井戸に2人くらいが入ってバケツで水を汲み出し、タワシで水ゴケを洗い落としました。水神様にお神酒を供えて、皆で一杯やり、キュウリなますやスイカなどを食べました。

(三原市史より抜粋編集)

山根ガワ 満潮になると塩気が出ました。水量も少なかったようです。
ムラガワ 「記念井戸」とも言う。水質が良く、水量がありました。
クラヤガワ '01.11家を新築する時に埋められました。
大村ガワ 風呂屋の大村さんのカワでした。未確認
中西のムラガワ 敷地内に取り込まれています。
平野酒店井戸 1914(大正3年)まで酒造用でした。 未確認
大西のムラガワ 大西の湯に使っていました。水量が足りないので、他に山手の4ケ所の井戸から水を引いていました。手押しポンプを上下すると冷たい水が出ます。
大西の酒井戸 4ヶ所酒井戸があります。大西のあたりは良い水が湧いていました。昔裏山にあった松の大木や雑木林がなくなり、従って水量もなくなったようです。
お薬師さんの水 お薬師さんの隣家内に取り込まれています。帆船時代に西の波止に入る船はこの水を汲みました。九州へ石炭を積みに行く帆船や、吉和の一本釣の船などが汲みに来ました。堅い岩を掘り抜いたマサツチから出る良い水でした。能地は、近年まで、家船(えぶね)漁民の本拠地として栄えました。(名水賛歌広島版VOL3参照)

三原市幸崎町能地

 (三原市史より抜粋編集)


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