大阪西支部
           日本中国友好協会大阪府連合会
最終更新日2012年01月22日
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大阪府連通信1月号から

年頭所感

 日中国交回復
 40周年への思い


日中友好協会
大阪府連合会会長
 渡辺 武

   

 

 国も大阪もいろいろ大変ですが、まずは、新年おめでとうございます。
 今年は、1972年の日中国交回復から四〇周年の節目。あらためて「あの年」のことを思い起こさずにはいられません。
 あの年二月、連合赤軍浅間山荘事件、三月、高松塚古墳壁画発見、五月、沖縄本土復帰・・・。そして、二月のニクソン訪中と米中国交樹立が世界を揺るがし、わが国もそれまでの中国敵視政策を改め、七月成立の田中内閣が八月には訪中して日中国交樹立が実現したのでした。
 忘れてはならないのは『日本は戦争で中国国民に重大な損害を与えた責任を痛感して深く反省、復交三原則を尊重、中国は賠償放棄、双方は平和友好条約締結に同意』との理念が盛り込まれたことです。これに基づき六年後の1978年八月に日中平和友好条約が調印され、今日に至っています。
 しかし、日米安保条約の下、沖縄の米軍基地は残存強化され、今や米国の中国包囲網の前線基地として一層の強化が図られようとしています。
 日中国交回復四〇周年を機に、その意義を改めてかみ締め、次々に発生するトラブルを外交努力で乗り越えつつ、真に平和的友好的な日中関係確立のためわが国の政府と国民が重要な役割を果たしていけるよう、わが協会も力を尽くしていかねば、と痛感します。

 

平松さんの
「平和の旅シリーズ」

 ベトナム・
 クチトンネル

(西支部・平松悦雄)



 

 

 

 

 

 ベトナム戦争は1975年4月30日に、アメリカ軍と当時の南ベトナム政権幹部が逃走して、無血で当時のサイゴン大統領官邸に解放戦線の兵士が入城し事実上終了しました。当時の新聞にも大統領官邸の上で、兵士が解放戦線の旗を振っている姿が載っています。

 当時のベトナム人がどんなに熱く、強く、幸福、独立、平和を願って戦ったか、その最たるものが身近くに見学できるようになっています。ホーチミン(サイゴン)市から北西70qのところにクチ県があり、そこには総延長実に250qにもおよぶトンネルを堀り、頑強に抵抗し、様々な戦略に対応し、世界最強のアメリカ軍を敗退させ、ベトナム勝利に大きく貢献した場所です。

 少し中に入ってみましたが、わかりづらく、慣れていない私たちそう長くはいることはできませんでした、当時はここで学び、生活をし、戦略をねり、時には手術もしたそうです。炊事ひとつでも、煙を遠方に出すような工夫をして、私たちの想像をはるかに超えるものであったろうと。 そんな中、アメリカ軍は枯葉剤をまき、その後遺症が現在もでてきています。その例がベトちゃん、ドクちゃんであり、三万人にもおよび、アメリカ側にもその被害はでています。解放のための苦しい戦いがあり、今日の平和があるが、今も引きずっているものがあることを思うと、戦いでなく、話し合いでと思わずにはいられない気持ちと、よくぞという気持ちとかが入り交じった熱いものを感じました。