やまびこ座の『集

2012年8月15日 改訂しました

   

ーやまびこ座では「いいたいことを劇にする」取り組みとして

  『集団創作劇』を1960年頃から創造活動の中心として取り組んできました。

第1次 『夜明けに向かって』 1962
第2次 『登り窯(がま)の火は消えない』 1966
第3次 『思いっきり遊びたい』       1974
第4次 『羽ばたけ 明日に向かって』   1984
第5次 『隆男の隣にだれがいる』       1986
第6次 『約束しよけぇ きっと明日も
          この西陣
(まち)で』
1995
第7次 『あした、学校で』 2002年
第 8 次 『忘れないで サチコの記憶』 2011年


第1次 『夜明けに向かって』 1962

 日本が逆コースを取りはじめたころ「戦争に反対しない子どもづくり」が政府の課題になった。そのとき邪魔になるのが、民主的な教職員とその労働組合だった。そこで『勤務評定(略して「勤評(きんぴょう))』と、『全国一斉学力テスト(略して「学テ」)』が学校に持ち込まれようとしていた。「これは教職員と生徒児童にランクをつけ、バラバラにしようとするものである」そう見破ったのが、当時やまびこ座にいた座員たちであった。中でも「未解放部落出身」の青年たちの視点は大事であった。


第2次
『登り窯(がま)の火は消えない』 1966

 京都の「清水」(東山五条周辺)は伝統的な陶器作りの街であったが、高度経済成長により全国に道路網が整備されたとき、「清水焼」地域の真ん中に大きな道路が作られようとしていた。開発と伝統産業で生活する人々、その子どもたちの願いを描きました。


第3次 『思いっきり遊びたい』 1974

 高度成長が進むと遊び場だった空き地がなくなり、道路で遊ぶと子どもが交通事故にあう。「遊び場が欲しい」は当然の子ども の要求になった。  


第4次
『羽ばたけ 明日に向かって』 1984

勉強するのはエエ高校へ行き、エエ暮らしをするため。勉強は競争・戦いだ」というのはホンマか? 埼玉の中学生の「全員百点」の取り組みを元に、 小学生の暮らしも視点に入れた作品をめざした。全員百点で自信を持った中学生たちは、弟妹にも 一緒に成長し合う喜びを伝えようと「子ども会」を組織するがなかなかうまく行かない。


第5次
『隆男の隣にだれがいる』 1986

 障害を持った隆男くんが、障害を持たない人の中で混乱を巻き起こします。障害のある人もない人も、人間は支え合わなければ生きて行けない。 支え合うとき生きがいが生まれる。


第6次
『約束しよけぇ きっと明日もこの西陣(まち)で』 1995

 都市中心部の過疎化が進み、街としての機能が弱まった時、暮らしも崩れる。小中学校の統廃合と、伝統産業の困難を、この街で生き続けたい立場で訴えた。


第7次 『あした、学校で』
2002年

 妹は友人の転校といじめを機に不登校になり、兄の学校ではテストの成績を掲示して競争をあおろうとする教師に生徒たちが反発します。妹は地域の子ども祭りでの太鼓を通して地域の大人やクラスメートと関わる中で笑顔をとりもどし、兄はその姿から「競争による孤立からではなく、人間集団の中でこそ成長でき、明日を見出せることに気がつきます。

第8次 『忘れないで サチコの記憶』 2011年

転校をしてもなかなか登校できないサキには、過去からの声が聞こえます。それが周りを遠ざけることになっていました。たまたま知り合った「子ども会」のメンバーとともに過去にもどり、空襲で死んだ女の子サチコの記憶を体験します。伝えたい思いを大切に未来につなげることを訴えました。


『忘れないで サチコの記憶』のページへ
『あした、学校へ』のページへ
『あした、学校で』取り組みの記録
やまびこ座 トップへ戻る