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高橋冬彦
   
1956(S31)年3月24日 京都市生まれ
            居住地の京都市立鳳徳小・旭丘中をへて
        76年、京都府立洛北高校全日制商業科卒
        80年、立命館大学二部(夜間部)経営学部卒
        81年、京都府立高校教諭に採用され、
        主に定時制高校で勤務しています。

 両親とも劇団員の家庭に生まれた私は、
母方の祖母に育てられました。 小学校低学
年で生活時間の昼夜逆転を起こし、 一時改善されましたが、 高校1年目まで夜起きて昼間眠る生活を続けました。改善された時期でも登校したりしなかったりでした。本(SF小説とマンガと児童書が主でした)とテレビに明け暮れて「死の恐怖」におびえる子どもでした。

  中学校2年生を2回やりましたが、その時は改善されませんでした。
 高校進学については、当時盛んだった校内で実施さる業者模試の点数で導かれて「公立・商業科」に決めましたが、惨めな気持ちは感じていました。入学後、「がんばって行こう!」という気持ちが、もう一つ持ち得なかったときに「輪切り感」を理由にしていたと思います。
 高校1年目の1年生の時、進級が不可能と考えられた2学期から休学してアルバイトをしました。この時点でも昼夜逆転は続いていましたが、「お金のために(!)」 朝起きをすることは覚えました。当面アルバイトをすれば生きて行くことができることに自信はできましたが、将来については不安でした。復学したのはそのためですが、それが「既設のレール」だったからかも知れません。
 復学後学校に定着できたのは、その年度からはじまった普通科・商業科のミックス・ホームルームで「輪切り感」が緩和されたことと、2年目の1年生ですので高校からはじまる「専門科目」についてはわずかにリードがあり、それを保つ努力は、小学生から置き忘れてきた科目に比べて容易であったことがあげられると思います。お陰で出席日数はギリギリ苦手な科目は赤点スレスレでしたが卒業することができました。

私自身の学校定着
やまびこ座とのかかわり


私は不登校であったころも含めてこの劇団の活動だけは大体続けてきました。

「これならできるし、期待もされている」と感じていました。特に中学三年生から教職浪人の年まで、2度あった高校1年生の年も含めての10年間はよくやっていたと自分でも思います。演出や脚本、舞台監督など創造スタッフの仕事を担当していました。しかし本当に好きであったかは疑問です。本当に芝居好きになったのは教職員になって、生徒に見せる教職員演劇に参加するようになってからです。それまでの知識経験を生かしていますが「表現する喜び」にひたっています。
 教職員になってからは、ほとんどが定時制勤務であるため、やまびこ座の日常的な創造活動には参加できず、休日や長期休暇中に地域に出て人形劇を上演する活動に参加するのが主なかかわりです。これも今は楽しんでやっています。

教師を志した理由

 (公立学校の)教職員に就職して生活の安定をはかりたい。1番の動機はこれです。両親の生き方は尊敬をしていますが、経済的な苦労はまねしたくありませんでした。もっと堅実な職業もあるでしょうが、この仕事なら自分なりにできるような気がしていました。中学校までは大嫌いな職業と呼んでいましたが、高校に定着後は「進路」として意識していました。中学までと比べて当時の洛北高校には「先生が自由で学校が明るい雰囲気」があったのだと思います。意識してからは自分のような経歴の教師がいてもいいだろうと考えるようになりました。大学に進学した理由はそのためでしたが、高校在学中は教職希望のことは隠していました。「やまびこ座」を続けるのなら定職を持たねばならないことも影響していたと思います。

教職員に成長すること
 もはや当然のことのようにも思いますが、教職員に生まれついた人間はいません。他の職業と同じように、教職員に育っていくのです。
 教職員になってから「学力不足」に悩みました。例えば漢字を私は活字から覚えたので、筆順どおり書けないのです。「読めればいい」で生徒学生時代はごまかしてきましたが、黒板の前に立つとそうは行きません。特に焦って書くとわからない字を書きます。現在は少しはマシになってはいますが、今でも生徒からばかにされます。パンライター(簡易日本語タイプ)やワープロを使ってプリント類を作成するようになったのはそのためです。

 私の人生は今振り返ってみると、現在の職業に育って行く過程のようです。他の職業にも同じ成長の苦しみがあるでしょう。「進路」とは結局、自分を育てて行くことのようです。

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やまびこ座でのおもなこと
 1963年  「夜明けに向かって」東京公演に
          同行し出演。そのまま入座
   74年 「思いっきり遊びたい」舞台監督
   76年 「集団疎開−8月15日」演出
   77年 「3匹のコブタ」構成・演出
   80年 「ネズミ大作戦」作・演出
     80年代の終わりごろ、突如「3匹‐」の
     兄ブタの代役に入り、以来持ち役
   02年 「あした、学校で」
      構成・演出・中条(諭吉)先生役で出演
   03年 「ネコ仙人の秘密」作・演出
   04-5年「勝抜く僕ら少国民」和尚役

    座内では、肩書はいっぱいですが、
     財政を担当しています

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